敬々の勘と観

じつはさっきまで1時間くらいかけて書いた文章を誤って消してしまったー。
ちょっと気を取り直したらまたかきます。

直りました。
小学校35年生、佐々木 敬。
僕はカンでよくものを云う。みんなもカンをいっぱい使おう。

理論はゆっくり親切な勘だ。論理はそれを束ねた嗜好だ。
勘と嗜好で大騒ぎしろ。空前のジャズブームというのもそれだ。
明日、荻窪のボクシングリーズカフェで19:00頃から歌います。
zazou cafe go goという企画にゲストで出るべ。フォークシンガーとして。
昔フランスにjazzが入ったばかりのころ、「なんだかザズだかじゃずだかって音楽があるってよ」→zazouと呼ばれたそうな…

ここ1,2年誰でもないひとになるのがあこがれだった。
半分くらい叶った気がする。
つまりそれは『言葉』が変わることである。
言葉は過去からやってくる。変わるということは失うことでもあるから、僕は失ったのだ。記憶と記憶力は、古い観念と観念力が弱まるに付随して…弱まった。
それに反して刹那と刹那力は強まっている。無責任と紙一重

言葉は過去からやってくる、お金も言葉だからおなじ。

『仕方ない』この言葉に僕は救われた。
と、同時に僕は『仕方ない』という言葉を救ったのだ。
僕の声でシカタナイカプセルをひとつあけることができた。
そこから人肌の勇気をもらった。
なんとあたたかいことばだろう。

北山 修氏曰く「never give upと諦めが肝心は同義語だ」を実感する。
回路や編集が違えば処方箋もちがう。


一冊の問題集があります。そこから問題を消します。白紙のノートが残ります。
当然、答えはみつかりません。   …人生然りです。
 たぶん、問題先ず在りきなのでしょう。それが唯一のヒントで、財産です。
モンダイという『言葉』がぼく(ら?)をリードします。