お手、お手頃、お手数、お手すき、お手伝い、お手元、

お手持ち、お手盛り、お手軽、お手柄、お手並み、

お手のもの、お手本、お手間、お手柔らか…。

手はなんとも言えず、それだけで“人と人が話をしている”様に…成立している。



病気自慢や貧乏自慢がツールになるように、人はどこかで
日々、祭りを待望している気がする。
“正義が凄いのではない。スゴイのが正義だ”‥みたいな。

だから、必要最小限の「不幸」を手元に残して置きたいのではないか。
手放したら最後“明日は世間にデビューできないのでは?”という不安定感にさいなまれる。
 それよりも、割り引いた「低値安定」のほうがサバイブし易いという知恵というか
 直感というか伝統というか…ヘリテージを我々は生きているのではないか。

 それを保守と言うのではないか。