強い有機物

定規で引いた国境の延命を望む人たちは、強い有機物(怨念)が必要だと知っていたのではないか?日本の郊外のニュータウンが短命なのは怨念を帯びないからではないのか。 つまり溜が無いと!

いや、その‥シャイというか

恥ずかしいは、愛してるということ。

ほっぺとほっぺの間にはさんだ玉は、行動の連続(祈り)に依ってのみ護られている。長い間念じれば、落とさずに宙に浮かすことも夢ではない。

面白

私は、何ひとつあきらめてはいない。面白い主義だよ。

コロンブスの卵

日本人はコロンブスの卵を軽蔑している。しながら初な顔を尊び、湯葉のような薄皮一枚を誰が最初に破るのか?そういうババ抜きが心底好きな様子。

プルーフとエビデンス

証明には目的という未来があった。証拠には目的がない。導き出されるは目的から独立してなければならないからだ。

7月4日は八戸でライブ

このブログでは久しぶりのライブ告知になります。7月4日(金) 八戸ポータルミュージアム はっち 開場 18:30 開演 19:00 チャージ 3,500円 出演: 三上 寛、敬々、福田 稔 チケット問い合わせ:【主宰】こだわり酒房・とんでん兵 0178-24-1139 http://mobile…

奇跡

違うと思っていたものが、同じだったという奇跡。同じだと思っていたものが、違うと解った奇跡。 奇跡は奇跡のまだまだ先にずーっとある。

おんなじということ

同じ波を見た人はいない。同じ産声を鳴いた人はいない。 しかし私は、あの日と同じ海に来ている。 あの時と同じ声で泣いている。産声を二度鳴こうとしている。 同じということは、最初は奇跡だったのかも知れない。

塩分と水分

その浸透圧で夢を見る。おやすみなさい。

俯瞰 鳥瞰

傷つけるつもりはなかった。俯瞰しただけだった。怒らせるつもりはなかった。鳥瞰しただけだった。真面目になればなるほど、そんな言い方をしてしまう。慎重になっちゃうんだね。僕らが友で居続けるには、外の人に俯瞰してもらったほうがよいのかも知れない…

知性

同じことを繰り返すことが、人間の知性なんだろう。

ネイキッド

個の力はどこから来るのだろう。 閃きや出逢いといった「偶然」という括りで指す先にあるものは何だろう。 個が空ならば、その色彩は誰だろう。 個人が居なかった時代の記憶に、ワタシは訪ねてみよう。 世界が膨張すると、どんどん電波が悪くなるから、近い…

鶏・卵の輪の融合? イミとノリ。 アタマとハラ。 解脱と輪廻。

産まれるイミと埋もれるノリ。

神様はいつも、「私を信じなさい。そして、私を頼るな。」と言う。

空想

軸足が右だ左だといってられるのは、三本目の足があるからで、空想を排除しても否定してはいけない。

異なる二つの輪

一人のノーブルと沢山のホーリー。 一人のホーリーと沢山のノーブル。

繋がり

村八分になった子が仲間を取り戻すには、泣き声も仕事の出来も腹八分にしといた方が良い。 繋がりとは、未完が故の成せる業。

愛を英語で言うと、Right(内発的なリアリティ) だと僕は思っている。だから、同じ嘘でも罪悪感がなければ“Right”です。 村八分になった子が、仲間を取り戻すには、泣き声も仕事の出来も腹八分にしといた方が良い。 繋がりとは、未完が故の成せるワザ。

大袈裟な嘘で回す大袈裟な社会を、我々は必要としていない。 ツマラナくっても(ダイナミックにワクワクしなくても)大丈夫!から面白いことは始まるという気がしている。

夢と現実

被害者の会は現実で結ばれ、加害者の会は夢で結ばれている。

猿の惑星

有名なあのエンディング「ここが地球だったのか!」オレ達人間こそが、周回遅れのトップランナーだったのか?卵分割で細胞分裂が最大に達した次にたどり着く先は“1”つまり誕生である。分母の最大化を競い、最後は1分の1、約分して“1”。

メッセージ

与えられたメッセージをかわすには、路地をまがってみるしかない。

動的平衡

あぁ、そうだなぁ‥。 何でもやりすぎが駄目、生けないことなのだなぁ。

自己責任

輝こうとすれば必ずひとのせいにする。闇を引き受ければひとのせいにしなくても済む。 自己責任とは元来そんなところなんじゃないか。近年、声高に云われる「自己責任」って他人のせいにして身の潔癖症を保つ保身をして、“ばば引かないようにしましょう”て感…

かわいそうと尊敬

先住民が不安なら可哀想、安心していれば尊敬が生まれる。

空気

「空気読む」とことさらに言われて来た風潮も落ち着いて来た、というか定着したように見える。 しかし、何故そんなだったのか。私は一つの仮説を立ててみた。 それは、気がついたら多くの人が「未知なる世界で暮らしていた」事を察知した、である。 では何故…

主観と客観

客観とは蓋然性に裏打ちされた諦めと安心であり、主観とは隙間を縫って泳ぎ切れるかどうかの可能性を見いだす希望と緊張である。「客観」を御輿に入れて担ぐ「祭り」が日常、つまり平時となっている現在、祭りを成立させるには実在するどの「主観」を御輿に…

モノカルチャー

私は、モノカルチャーの呪いはどんどん溶けてていると楽観している。誰も大企業や超大国の失態に幻滅しなくなっていることが大きいし、多くの人が何気ない日常の…耳糞や目ヤニのような出来事や思いこそホンモノだと気づき始めている。

偽装

蓋然性は諦めと驕りなんじゃないか。青森県天間林と言っても誰もイメージ出来ないから、とりあえず四捨五入すれば「田子産」でいいんじゃないか。そんなニンニクだって在る。それは、「わかりやすく」という親切心だから「サービス」ではあるのだが…。まんま…